temu38のブログ

ゲーム、漫画、音楽、映像などの作品について色々書いています

「鬼神童子ZENKI」&「爆骨少女ギリギリぷりん」&「レディ・ジャスティス」雑感

漫画の連載作品から足も遠のいて久しく

真っ先に続きが気になるようなこともなくなりました。

そんなとき「鬼神童子ZENKI」という漫画を読んだのですが

 

鬼神童子ZENKI 1巻 黒岩よしひろ作品集

 この漫画は全編通してただひたすら目の前に立ちはだかる敵を倒し続けるのみの

非常に明快な方法で描かれている作品です。

 もちろん、敵味方ともに数が増えたり、スケールが大きくなったりするのですが

基本的に同じスタンスのまま最後までバトルし続けます。

 

ヒロインの役小明(えんのちあき)というキャラクターは

上の画像でも分かる通り、(作中ではそれ以上に)衣装ががビリビリと破かれ

肌や下着があらわになるシーンが何度も登場します。

 それ自体はおそらく古くから存在している少年漫画の手法の1つだと思うのですが、

この当たり前のように確立されたシンプルなバトルと微妙なさじ加減によるエロスこそが

以前みたく漫画の興味を持続させる1つの方法ではないかという考えに至りました。

 

 そこで次に注目したのはZENKIと同じく月間少年ジャンプで連載されていた

「爆骨少女ギリギリぷりん」という作品です。

 

爆骨少女 ギリギリぷりん 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 この漫画は先ほどのバトルとエロスをコメディタッチで描いている作品で

格闘ジャンルはプロレス、ギリギリぷりんという異名を持つ少女が

得意の関節技(サブミッション)を使ってスケベ教師たちをこらしめるという設定です。

 サブミッションという体と体が密着するプロレス技とシチュエーションが正に

ギリギリを攻めつつ、○○○○がぷりん(?)とする漫画になっています。

 

この漫画の舞台はマルチメディア学園という様々な職種を扱う養成学校で

登場する変態教師たちは毎回あの手この手を使ったエッチな方法で

ギリギリぷりんを追い込んでいきます。

エロだけの漫画ではないというか意外に端々までちゃんと作り込んであって

格闘シーンに関しては現在でも通用するどころか一見の価値があるほどカッコいいです。

 

そのためエッチ描写が豊富で興味深く読むことができたのですが

それを準備するのに多くのページ数を割いていて

肝心のぷりんのプロレスシーンが疎かになっていることが多かったのが残念でした。

 作者自身もシチュエーションのネタ作りに苦しんでいるところがあって

変に凝らなくても、もっと普通にぷりんが見たい感がありました。

 

目新しさがなくてもZENKIの小明が毎度おなじみの様に服が破けつつの

熱いバトルを見られればそれでいいんじゃないのか?

という早くもZENKIに回帰しようとする考えが生まれました。

 

レディ・ジャスティス 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 2015年の週刊少年ジャンプ作品「レディ・ジャスティス」が

ギリギリぷりんの影響を受けた漫画のように思えて読んでみたのですが、

とても良かったです!

 

 スーパーマンな少女が平和のために戦うのですが

全2巻の打ち切り作品なのでZENKIの様に熱いバトルがあるワケでもなく

ギリギリぷりんの様に凝ったシチュエーションがあるワケでもない

ある意味ごく平凡なジャンプ漫画なのですが

ぷりんで成し得なかった部分、ヒロインのレディジャスティスに

しっかりスポットが当てられていて、なおかつZENKIの小明のごとく、

毎度衣装を破かれ続けるお約束を貫く意思力は

確かに両作品の良いところを受け継いでいると言えます。

 

 お色気漫画とは違う、バトル漫画という前提の上でのエッチさというのは、

漫画の内容とあまり関係のない些細な事柄ではありますが

全ての漫画を網羅とは言わずとも、

自分の中でだけででも系統立てて読み直すことで

より面白く読み進めることができたことを改めて実感しました。

 どのジャンルでもそうですが過去の作品からの比較や発展を意識することが

これからより重要になってくるんじゃないかと思います。

 

スチャダラパー 「11」雑感

     11 

 

個人的にラップやヒップホップという音楽の持つイメージから連想するものは

社会的な批判とか風刺、悪口や罵りあいという感じなんですが

それをそのまま日本人がやってもツラいだろうという気持ちが

やっぱりあってそこを上手く日本人的に落とし込んだのが

スチャダラパーというグループである、

というのが自分の中のスチャダラパー像です。

 

 今回そのスチャダラパーのアルバム「11」を聴きました。

 何と言うか加齢に伴う限界を思い知らされるような、

一種のわからされ案件的なものがテーマの1つのように思えて

それが社会的な範囲を超えたところでの皮肉や風刺になっているのが

とても面白かったです。

 

 社会の現象とか問題とかそういう大きな出来事だけというワケではなく

周囲の人々や環境、共通認識に至るまであるある過ぎる部分がとても多くて

自分も年齢というか限界というかそれに伴う哀愁というか

そういうものを認めざるを得ない部分がありつつも

とはいえ、まだまだそんなことも言ってられないなーというような・・・。

 

言葉で説明するとちょっとくすんだ印象があるんですが

だからこそ4曲目の「Station to Station」のイケイケ感が光ってたり、

9曲目「Hey! Hey! Alright」の木村カエラとのコラボによる

底抜けの明るさが際立ったりするのがまた良いです。

 11曲目、最後の曲になる「Good Old Future」が

今までの曲の流れを総括するような素晴らしさです。

この曲だけでも聴く価値アリなんですが

それ以外の曲を聴くことによってより味わえるアルバムになっています。

 どの曲も曲調をガラリと変えていているので楽しく聴くことができました。

 

 2019年にもなって他にも自分の将来とかいろいろ考えさせられているのですが

いつもGood Old Future な気分を忘れずにいけたらなあと思っています。

 


スチャダラパー+木村カエラ / Hey! Hey! Alright

 

BUMP OF CHICKEN 「COSMONAUT」雑感

     COSMONAUT

2010年に発売されたBUMP OF CHICKENの4作目のアルバム「COSMONAUT」を

最近になって聴き直しました。

 

BUMP好きによくありがちな「BUMPは変わった・・・」ではないけれど

 BUMPらしい音楽的なキャッチーさよりも

より内面的に深く掘り下げていく傾向が強まっていくのを感じて

BUMPから遠ざかってしまったのがこのアルバムが出た頃でした。

以前聴いた時はぼんやりとしたイメージしか残っていなかったので

聴き直してみました。

 

約1ヶ月ほどかけて、少しずつ聴いていったのですが

当時はあまり意識していなかった歌詞の内容が

驚くほど今の生活に密着しているように感じられて

まるで未来を予知していたかのような錯覚に陥るほどでした。

曲を聴き進める度にこの言葉にできないような感覚を

次はどんな風に歌ってくれるのか楽しみながら聴きました。

これほどまでに心のありようを歌にしてくれるなら

BUMPが遠のいて行ってしまうのも仕方がないというか

このアルバムを理解できずにぼんやりしてしまったことにも納得ができた気がしました。

 

とはいえ、どの曲も耽美で眩しいほどに綺麗でありつつ

シングル曲の力でしっかりバランスを取る的な感じもあって

全体的にとても纏まったアルバムになっているようにも思います。

そのバランス維持しつつ、今までの中で最も内面を深く掘り下げて作られたのが

この「COSMONAUT」というアルバムだったのでは ないか?というか、そう思いたい。

自分の中ではそれくらいの体験をすることができたアルバムでした。

(「RAY」以降の路線も一応踏まえつつ)

 

個人的なオススメ曲は12曲目の「宇宙飛行士への手紙」

このアルバム一番の目玉でありアートワークのコンセプトデザインにも

なっている曲だと思います。

曲順の流れとメロディがシンクロするかのように盛り上がっていくのがとても良いです。

正にこのアルバムのための曲と言えます。

 そしてなんと言っても外せないのが最後に流れる隠しトラックの「OFCOURSE」

 痛快なコントとオリジナリティ溢れる音楽性が何とも言えない感じでたまらないです。

 

もちろん他の曲も素晴らしいものばかりですがどの曲を聴いても

最後に「OFCOURSE」で締めるのがこのアルバムの聴き方になっていました。

結果的には隠しトラックまで計算されつくしているのではないかと思ってしまうほどの

マイベストアルバムになってしまいました。

BUMPとの距離感は近づいた気はしないけど

これからもこういう感じでBUMPを聴いていけたらなあと思っています。

 


BUMP OF CHICKEN 「OF COURSE」 full

 

ロデア・ザ・スカイソルジャー 雑感

ロデア・ザ・スカイソルジャー - Wii U

 Wii U版「ロデア・ザ・スカイソルジャー」をプレイしました。

 

 このゲームは中祐司さんのプロデュース作品ということもあり

 中さんが以前関わったゲーム「NiGHTS」をかなり意識したゲームだと思われます。

 ナイツ マルチコントローラー付

主人公衣装などのデザインもさることながら

ゲームジャンルがどちらも飛行アクションというのがその理由です。

セガサターンWiiで発売されたNiGHTSは疑似3Dだったのですが

今回のロデアは完全な3D飛行アクションだったので

そこが個人的に注目するポイントでした。

 

一応最後までプレイした結果

 確かにNiGHTS感は踏襲されてはいるものの

ロデアのゲームデザイン

NiGHTSと比べると正直厳しかったと感じざるを得ませんでした。

 

3D空間を自由に飛び回れる楽しさや

NiGHTSらしい気持ち良い飛行アクションなど

良い部分もたくさんあるのですが

 3Dに伴う操作の複雑さやシナリオやムービー、声優さんの演技など

扱う情報が多すぎて中途半端にとっちらかった印象を持ちました。

 

これは単純にNiHGHTSとロデアが発売された時代による差の問題だと

言えるのかもしれませんがNiHGTS信者の自分としては

少しもの悲しい気分になりました。

 

じゃあそういった違和感や差を感じた上で

ロデアのどういった部分を楽しむべきなのか?

 NiGHTSのバシッとした名作感とは違う、

つまり色んな要素が詰まったところ、中途半端な部分、

 その微妙なところの引っ掛かり具合を楽しむというのが良いんじゃないか?

という結論に至りました。

 

ゲーム全体としては行き詰まる部分があっても

その最中に感じる些細なNiGHTSらしさを楽しむとか、

他にも声優さんの演技に関心を持ったり素材回収や改造の目標を立てたり

ゲーム本来のクオリティとは別の側面から味わう、

そういうプレイスタイルを持つことが

比較や優劣を超えたところで作品を楽しむコツではないかと最近は思っています。

 


「ロデア・ザ・スカイソルジャー」1st デビュートレーラー