temu38のブログ

ゲーム、漫画、音楽、映像などの作品について色々書いています

クラッシュバンディクーレーシング 雑感

                 

              クラッシュバンディクーレーシング

クラッシュバンディクーレーシング」のタイムトライアルをプレイしています。

より速いタイムを叩き出すためには何度もトライ&エラーを繰り返す必要があるのですが

 何回も失敗を繰り返す内にゲームプレイが惰性的で雑になっていることがあります。

 

 これは他のジャンルにも当てはまる傾向だと思いますが

ゲームプレイの上手い下手にそのまま直結している現象ではないかと最近感じています。

 

惰性や慣れでプレイしていてミスをする時は画面をちゃんと見てないことが多いです。

見た目上は確かに画面を見てゲームをしているのですが

本当の意味で画面を見ていないと言うか

こんな感じに動かそう、動いてほしいという意識を見ているような感じで

本当の画面上の現象をちゃんと見てプレイしていないということに気づいて

意識的にプレイするように心がけると

まるで今まで眠りながらゲームしていたのかと思うほど

目の覚めた状態でプレイできて自己ベストを更新することができました。

 

この意識を持つことはかなり重要な気がしていて

ゲームが苦手な人ほどこの状態から掛け離れていくんじゃないかと思います。

意識やイメージとゲームプレイの距離感とその一致が

どれくらい上手くいくかということが大事で

その状態の違いをゲームが上手い、下手で区別してるんじゃないかと思ったりしました。

 

騎士ガンダム物語 雑感

                            新装版 SDガンダム外伝 騎士ガンダム物語 ヴァトラスの剣編+流星の騎士団編 (KCデラックス) 

今まで物語というものに対して

エンターテイメントとして、作品としてどうであるか?

という捉え方しかしてこなかったけど最近になってようやく

作品の内容が何らかの暗喩やメタファーになっていることがわかってきた。

 

それは作品内では1つの事実として描かれるだけで

人によっては何事もなくスルーされてしまったり

解釈の仕方が正解なのかどうかもわからないけど

とにかくそれが現実の世界の自分に力をもたらす、ということを

特に実感することができました。

 

今読んでいる「騎士ガンダム物語」の上の画像にも描かれている

騎士ガンダムのポーズ「不知火の型」が自分にとってのそれで

別に自分がこの構えを取ったりするわけではないのだけど

ある特定の状況下や意識、感覚の状態によって

自分にはこのポーズが特別に意味のある力のある象徴になったということだと思います。

 

一体何がどのようなきっかけになるのかはわかりませんが

このようなことを作者の人たちはなぜ知っているのか?

ただの偶然にしてしまうには特別すぎるし

かといって正しい答えがあるわけでもなく

作品内でほのめかされている(ように感じている)だけなのでとても不思議です。

 

 

ソンソン 雑感

ソンソン

最近はゲームプレイの持続力が高いゲームをやるようになっています。

無闇に次へ次へと新しさを求めるような面白さではなく

同じことを繰り返している様でも

そこから込み上げてくる様な面白さにゲームの楽しさがある気がします。

 

古いゲームにはシンプルでありながらも

そういった面白さがあるゲームがたくさんあって

「ソンソン」もそんなゲームの1つです。

ソンソンのモチーフになっているのは西遊記なので

ソンソンも同様に天竺を目指します。

 

ただ画面をひたすら右に突き進むだけのゲームですが

西遊記がベースにあることによって

そこにはスケールの大きな旅をしている意識というか

ただスクロールする画面を楽しいワクワクしたものに変化させている、

そんな魅力がこのゲームにはあります。

 

BGMも口ずさめる感じの心地よいメロディーで

(実際に歌詞が付いている!)

プレイしていてとにかく楽しいゲームです。

 


【ファミコン】ソンソン(SONSON)